- 2004年3月12日 04:07
- diary
もちろん電脳化したわけでも、その可能性が見えたわけでもない(笑
しかし、そろそろ人間は情報との接点を次の段階へ進める事が出来るのではないか
キーボードとマウス、ディスプレイという単純なインターフェイスに触れていてそう思うのだ。
どんなに効率のよいシステムであっても、人と情報を明確に区分していたのでは
いつまで経っても本質的に結びつきを強める事は出来ない、
もっとシームレスなインターフェイスが必要だ。
夢物語かつ危ない人に見えるわけだが、情報の海を泳いで見たいと思う。
# 生きる事、それが情報の海を泳ぐ行為に他ならない事は確かだが、望んでいるのはもっと高次な・・・
記憶という信憑性の無い情報に従って個を特定している人間には無理かもしれないが(笑
少なくとも生きている間に空間投影型ディスプレイや簡易電脳にお目にかかりたいものだ。
肉体、すなわちDNAさえも捨て、果たして情報として個を保つ事が出来るか。
情報と言うものは形を持たない。 人間は情報を扱うためにそれを具現化する。
磁気という形に変えて記憶したり、光や文字という形に変えて認識対象にするわけだ。
また、情報には正誤が存在しない、存在するとすればそれは人間が意味付けたものだ。
それを表す言葉でさえメタ的に人が定義したものであり、情報の本質を表しているとも思えない。
人の言う情報と、人そのものは言葉の上で交わる事は無い。
だが、ふと自分の存在について考えた時、自分自身が情報・因子である事に気付く
物理学的に、全ての情報はレプトンとクォークで構成されて言えばそれまでなのであるが・・・
「存在は全てレプトンとクォークの羅列であり動きなのだ。 それが全てであり真理である」と。
自分自身が一因子だと気付いた瞬間に、恐怖と好奇心が湧き上がる。
この記憶、感情、感覚 よもや自分を含めこの世界の全てが真実である確信など何処にある。
ヒューマンは怖れているのだ、情報を情報たらしめる情報など無い事に気付くのを
そして望んでいるのだ、この宇宙を一瞬に内包しさえする情報への昇華を。
これだけの思想が「気は持ちよう」という言葉一つに内包されてしまうこの世界が好き。
全ては己の中にある。 楽しんでるかい? 君はいつでも自由なんだぜ。
Comments:2
- james 2004年3月26日 16:55
あるとすれば、情報を情報たらしめてるものっていったいなんでしょうかねぇ。
普遍的な何か、それは人間には情報であるとしか認知できないんでしょうが。考えられるものとしては、
例えば、「たしかにこの石Aは石Bではない」というような物理的理念。
そして、「たしかに今、考えている自分がいる」という絶対的自己感覚。もし、絶対的真理なんてものがあったところで、
客観的には相対的にしか理解できないのが人間ですね。
みんながみんな、自己中であるというw- Rick 2004年3月31日 07:50
先日イノセンスを見て来たわけですが。
語るには情報量が多すぎてblogに書いてません(笑
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